| お 題 | 話(演奏よ 止まるな!) |
|---|---|
| ヤバい思い出 | 演奏中に曲が止まりそうになった。(止まったかも?) |
| 3年生の時の中部日本吹奏楽コンクールでの出来事である。 課題の一つであった「初見曲演奏」の時であった。 直前に配られた楽譜を見て演奏する難題であった。 | |
| 不安のまま演奏がスタートするも、何だか全体の演奏がかみ合わない? 自分の演奏が合っているのかもわからず、他のパートの様子をみながら曲が進むも、「もし、自分の演奏がズレていたら、迷惑がかかると思い、 自分の演奏を一時停止してしまった。 他の部員達も同様にその場の雰囲気を感じ、次々に演奏のストップが広がった。 | |
| その結果、曲の終盤では演奏していたのが、僅かの人だったような? まさに、「止まる・止まる・なんでもいいから音♪を出せ!」状態であった。 指揮をしていた薩摩先生の顔が青ざめていたような(笑) | |
| 残念な思い出の一つであるが、卒業後50年経って思えば、これも懐かしいですネ。 |
| お 題 | 話(第一話) |
|---|---|
| お目溢し | 薩摩先生の授業中に譜面のコピーを見逃してもらった事 |
| 冬のバイト | 冬の練習が卒業生にプレゼントするLP盤の制作費のためにアルバイトをした事(郵便配達) |
| 自転車通学 | 2年生から自転車通学をして、特に冬の通学が大変だった事 |
| ああ青春 | 何かの演奏会で、富工の吹奏楽部の隣に富山女子高校の吹奏楽部と一緒になり心がときめいた |
| コリオラン | ベートーヴェンのコリオランがあまりにも難しかった |
| お 題 | 話(祝入学・祝入部編) |
|---|---|
| 祝入学 | 入学したのは昭和47年4月1日時々小雪がチラつく今から比べると肌寒い日であった。 |
| 掃除当番 | 入学すると早速出席順の若いア行のオレは掃除当番となった。多分サブちゃんと一緒に掃除をしていたのだろう。でも萩原はなぜ? |
| 運命 | 『ジャジャジャジャーン』、ここでベートーベンの運命が鳴り響く。 |
| 音楽室 | 掃除当番だったオレは運悪くT堂さん達に連行、もとい案内されたオレは2日間も音楽室に監禁、もとい勧誘されたのであった。(これで悲惨な3年間もの学校生活が決定づけられたのであった。)トホホ |
| お 題 | 話(朝練習編) |
|---|---|
| 朝練習 | ブラス=音楽と思っていたが、ブラス=走るである、なのでブラス≠音楽である。 |
| お達し | 入部すると先輩より運動のできる格好をして朝練習に来いとのお達しが告げられた。 |
| 6時29分 | 富山港線岩瀬浜発6時29分この電車に雨の日も、風の日も、雪の日も、オレは3年間随分お世話になった。 3〜4回乗り遅れそうになったが電車めがけてダッシュしたらホームの端スレスレで止まってくれたり、バックしてくれて後に起こるであろう罰ゲームはなんとか回避された。(この時連帯責任というワードを身にしみて覚えた。駅員さん、運転手さん有難う) |
| ランニング | 朝から走る?早速このクラブの異常性が少し垣間見えてきた。野球部もサッカー部も朝練なんかやっていないこの時間に俺たちは呉羽山の神社そばの階段を登らされた。2段ずつ登るな1段づつ登れと言われ指示に従ったがなんとか登れた。なんでブラスにランニングが必要なんだろう??? |
| 6番ホーム? | 翌朝は当然筋肉痛であった。とてつもなく痛いのである。終点富山駅で電車を降りたが他の乗客はサッと消えていった。オレは痛みでやっとの思いで6番ホームの階段にたどり着いたが、痛くて階段を降りれない。端の手すりにしがみついて長い時間を掛けて降りていった。う〜んなんとも情けないみっともない!エレベーターをオクレ〜! |
| 序章 | この呉羽山でのランニングは1週間で終わった。だんだん筋肉痛は癒えていったが、これはやがてやってくる地獄の序章に過ぎなかった。 |
| 追:先日呉羽山を車で通り過ぎたら山の中腹ヘアピンカーブにあったランニングの終点地”富山市老人福祉センター呉羽山福寿荘”が取り壊されていた。 知らんけど! |
| お 題 | 話(サックスパート編) |
|---|---|
| 選択 | スーパーチューズデーがやって来ました。とある部屋に呼ばれ、そこには三年生の方々と机の上に置かれた楽器が3つ在りました。音を出してもいいよと言われましたが音が出るはずもなく今度は自分のやってみたい楽器を言えと言われました。(置いてあった楽器はクラリネット、サックス、トランペットです)自分はトランペットしかよく知らなかったのでトランペット・サックス・クラリネットの順で申し込みました。 |
| 麦茶 | サックスパートには夏場になるとサックスパート名物『麦茶』が出現する。
ヤカンに熱い番茶を入れ、それにパートの箱に入っていた麦茶の茶葉?を入れて冷やすと麦茶がハイ出来上がり。これが夏場の一年生の仕事である。 (パートの箱とは楽譜やら譜面台が入った各パートにある段ボール箱である) 夏場のランニング後やら熱い日にはこの冷えた麦茶を飲むとスーと汗が引いていく、夏場の麦茶は最高である。 時々他パートの三年生が飲ませてくれと飲みに来る、やはり夏場の冷えた麦茶は美味しいのだろう。 しかし、河原でロングトーンする時や呉羽山の上、八ヶ山でソフトボールの時は一年生がヤカンを持って行かなければならず、重くて大変であった。 |
| 腹筋 | サックスパートの腹筋は、気が狂ったような、異常な金管の腹筋の筋トレと違ってオーソドックスな練習である。 机2個を黒板に向けて縦に並べ、机と黒板の粉受(こんう)の間につま先を入れると、あら不思議、教室の備品が見事に筋トレマシンに早変わり。 サックスパートは6人なので一人20回数えて6x20で毎日120回腹筋をやった。 お陰で腹筋はバキバキである。当時は身長約165cm体重55kgウエスト72cmだったかな! |
| 全部テナーの音 | 三年のある日、相棒のS水君がメロディー良いな〜、俺もメロディー吹きたいない〜と言い始めて暫くしたら、
アルト吹かせてくれよ〜と言うのでアルトを貸して音を出したら。二人で『え〜〜〜〜〜〜〜〜〜』と驚きの声を出しました。 何度吹いても、何度やり直しても出てくる音はテナーの音でした。 |
| 全部アルトの音 | まさかこんな事があるわけないと思いS水君のテナーを借りて今度は自分が吹いたら、
これまた二人で『え〜〜〜〜〜〜〜〜〜』と驚きの声を出しました。 バリサクを吹いてもアルトの8掛け位の音でした。 |
| 反応なし | 二人とも楽器を交換したのに音が全く変わらず楽器を吹いて周りにアピールしたが、誰も気が付かないのか興味がないのか反応がなかった。 |
| ひるの歌謡曲 | 音楽室では、昼休みの終わりを告げるステレオから『ひるの歌謡曲』のエンディングが流れていたのでエンディングの
サックスに合わせて吹いたがやっぱり誰も気付いてくれない! S水君はヤケクソでアルトでテナーの音を出していた。 二人が感動したこの大発見は周りの反応のなさにいつしか消えていった。 |
| ** | 『ひるの歌謡曲』は、NHK-FM放送で1974年4月1日[1]から2006年3月31日[2]まで平日(祝日含む)12:15 - 13:00に放送していた音楽番組である。 番組のエンディングにビッグバンドのサックスの演奏がある!この曲が終わるとPM1時昼休み終了の合図である。 |
| ターラッタターララー たらららららターララー ん〜わかるかなー | |
| 練習の始まり | 日曜か夏休みの昼休みの終了時の1時頃音楽室のステレオで流していた曲が、昼休み終了の合図である。 この曲が終わると又長い長い昼の練習が始まるのであった。フ〜ッ |
| ちょっと一服 | |
| お 題 | 話(肝試し編) |
|---|---|
| 肝試し | 夏休みの合宿恒例の肝試しがやって来た。一年と三年の時は忘れてしまったが、二年の時はそこそこ覚えている。 |
| ペア | くじ引きをやったのかジャンケンをやったのか忘れたが、オレのペアはT谷になった。 |
| 怖がり | ペアになったT谷は体に似合わず、僕怖がりなのでよろしくお願いしますと言う。 |
| 出発 | 順番が来て俺たちペアは出発した、T谷は言っていた通り暗がりが怖いらしくオレに隠れるように横から顔を出して後ろにピタリと張り付いてくる。 |
| 悲鳴 | しばらく歩いて細い小道で、周りは背丈の低い草むらが続く場所で突然『ぎゃー』と静寂に包まれていた呉羽山に悲鳴が鳴り響いた。木の影や物陰ならいざ知らずお化けなど出そうもない背丈の低い草むらである。しばらく悲鳴の訳が分からないのでT谷に聞いてみたら怖くて下を見れないのか指を下に向けてこれこれと指差した。 |
| 正体 | 下の方を見るとようやく悲鳴の理由が分かった。草むらの一番下の方から少し手が出ており、T谷のくるぶし辺りを掴んで離さない。しばらくするとモゾモゾとお化けが草むらから姿を現した。お化けの正体はI内さんであった。 |
| グッジョブ | 草むらから姿を現したI内さんは状況を説明してくれた。背丈の低い草むらに寝転んで獲物が来るのをずっと待っていて獲物が来たのですかさず足を掴んだらしい。藪蚊に刺されて大変だっただろうに。T谷の大きな悲鳴は周りに潜む藪蚊に刺されたお化けにやる気と元気を、そして後から来る獲物達に大きな恐怖心を与えただろう、I内さんの努力にグッジョブX5を差し上げたい、またナイスな所で大きな悲鳴をあげたT谷にもグッジョブX5を進呈しよう。I内さん本当にご苦労様でした。 |
| to be continued | 暫しお待ちを |
| 学校の階段へとつづく |
| お 題 | 話(学校の階段) |
|---|---|
| 部室 | 学校の古い木造二階建ての校舎の東のはずれの陽の当たらない薄暗い所にそれはあった。 階段と化学の実習室の間にある一間程の幅の暗闇の通路を行くと入り口の上には「吹奏楽部」と書かれた額?が掛かっていた様な? |
| 体育会系文化倶楽部 | "ちわ"と大きな声で言って中に入ると、お〜いつも通りのリトマス試験紙の色が変わりそうな酸っぱい匂いが充満している、
自分も含めてみんな汗をかいているので仕方がない。 運動部よりもブラスバンドの方が遥かに走って汗をかいているので仕方あるまい。 N口君が昔”体育会系文化倶楽部”と言っていたが正にその通り、名言である。 |
| 学校の階段 | ドカドカドカと階段を上り下りする音が響く、古い木造校舎の階段下に部室があり薄暗い入り口も相まって そこに人が居るとは思わないから遠慮なしに大きな音を立てて行く! |
| 長助饅頭 | T田さんが、おう長助饅頭買って来てくれと言う、長助饅頭なんじゃそりゃぁ???頭に?マークが灯った。 えっと言うと、本人も正確な名前は分からないみたいで、いくつかのそれらしい名前を言っていた。 場所を聞いて買いに行ったら"長生???舗"と言う店であった。 売っていたのは長生饅頭?、ながいき饅頭と書いて「ちょうせいまんじゅう」とでも読むのであろう。 富山では七越、他所では今川焼き、大判焼き、回転焼きである。 |
| 長生饅頭を買って帰るとT田さんはお約束通り長生饅頭を1個くれた。 御用聞きの時は早弁して来ているが、若さゆえこの時間になるといくらでも胃袋に収まる。うまい! 今日はもういいぞ!と言われると今日は無罪放免である。次は何が食べられるかな? | |
| お 題 | 話(PM7時19分編) |
|---|---|
| このクラブに終わりと言うものが無い。 今日は早く帰れても明日は早く帰れるとは限らない。 定演時期などは夜中にグランド10周走らされた事もある。 練習が遅くなり部室にお泊まりなんて言う人もあったと聞く。 | |
| 7時19分 | 早く終わった時は6時台の富山港線で帰れるがその次は7時19分である。 7時19分の次は約1時間半後であるこの差は非常に大きい、この時間は夕飯が早く食べられるか遅いかの分水嶺である。 ある日この7時19分に間に合う市電に間に合わないと悟った俺は何を思ったか着替えて直ぐ富山駅まで走った! だが卒業して五十年経つと間に合ったかどうか記憶にない。 二度目にチャレンジした記憶がないので多分失敗したのだろう、随分と無謀な事をしたものだ。 |
| 立山そば | 6時台の電車に乗れない時は7時19分まで時間がある。 時間があったら改札を抜けた所にある立山そばを佐伯君達と何度か食べた。 小遣いはリード代に消えていったのであまり食べられなかったがとても美味かった。 何度か天そばを食べたがこれまた数段うまいと思った。 社会人になってから富山駅の改札を通るとつい立山そばの方を見てしまう。 だけど、一度も食べた事が無い。なんでだろ? |
| お 題 | 話(コーラン変奏曲) |
|---|---|
| コーラン変奏曲 | 新年会などで定演の演奏曲の中でもよく話題になる曲にコーラン変奏曲がある。 なぜかと言っても皆さんご存知の通り止まってしまった曲だからである。それも完全に!! |
| いつも通りの合奏 | 合奏の機会は二度あったはずだが、先生はいつも通り、終始お約束の、腹・ハラ・はらと、ロングトーンで終わっていった。 まともに通しでやった事が無いので曲の全体像がつかめていないのである。 そしていきなり本番の定演である。 |
| みんな焦る | 曲が止まった事がわかった先生は、メロディーがあるであろうパートの方を向いて必死の形相でタクトを振っている。 オレは最前列なので焦っている先生の顔色がよくわかった。 先生も焦ったけれど、演奏している自分達も焦った、トホホ、誰かなんとかしてくれ〜。 |
| 救世主が現る | そこへ救世主が現れた、フルートである。フルートの音で曲の現在位置がわかった。 そこから無音だった曲が息を吹き返し、なんとか事なきを得た。 フルートパートGJ・GJ何度でも言ってあげようGJ。 |
| フルートGJ | 曲が止まったのは富商のブラスの連中も気付いたらしい。 後日談ではあるがフルートは拍数を数えていたらしい。フルートがいなければ最悪の事態になっていただろう。 |
| 3年間の集大成 | 3年間の集大成がこれである、情けない。 もう音楽は、演奏するのはやめて聞く方に専念しようと思うのであった。 |
| お 題 | 話(49会誕生秘話) |
|---|---|
| 命名 | とある年の新年会での出来事である。 |
| 49会誕生 | T沢君が言うには、宴会場にはその年の幹事名かブラスバンド名などで申し込んでおり、幹事名を忘れたり毎年必ず受付で混乱してしまうので名前を統一して、49年度卒業なので『49会』で統一したと言っていた。 |
| 確かに理にかなっている ・・ 49会とは、辻沢が名付親なのか! | |
| しかし ・・・ なにか ・・・ |
| お 題 | 話(連帯責任) |
|---|---|
| ** | 入部したての頃は、誰かの挨拶の声が小さかった、廊下を静かに走らなかった、顧問の先生の名前を憶えていなかった等々でよく怒られた。(叱られたとは今でも思ってないが・・) |
| お残り | 部活後の夕礼でのM野さんの、「この後一年生は残ってください」の一言で、連帯責任(なにそれ?)→正座(なんで?)→グランド10周!(終電が・・・)の毎日 |
| 裏の看板 | 括りは文化部だが表の看板で、実態は(応援団+運動部)×3乗の体育会系であった。良く耐えられたものだと思う。 |
| お 題 | 話(鍛え方が違いますよ) |
|---|---|
| グランド10周 | グランド10周のお陰でか構内のマラソン大会などでは結構いい成績だったし、確かに佐伯は学年トップだった。 (3年間トップだった?) |
| べらぼうめぇー | 会社に入りたての研修時代に、連帯責任→正座→グランド(体育館外周)10周をやらされ、悲鳴を上げる同期を他所に涼しい顔でこなし指導員の方達を驚かせてしまったことがあった。 (べらぼうめぇー、こっちとら鍛え方が違いますよー! であった) |
| ** | **** |
| ** | **** |
| お 題 | 話(パート練習) |
|---|---|
| ラスト上げ下げ | Tpのパート練習は恒例の足上げ特訓から始まる。 腹式呼吸で腹筋強化のためと称し、仰向けで机に寝ころび飛び出た足を上げ下げするのである。 パートリーダーのK田さんの、「60度、45度、15度」の号令で徐々に両足を下げていき、とどめは、「ラスト上げ下げ10回!」 隣でI田先輩の叫び声がす る。(オニーっ!) |
| パンチ | プルプル震える足でグランドへ走りロングトーン。
最初は発声練習で、「おーー・・・」と声出ししていると不意にお腹に拳が飛んでくる。 みぞおちに入った時は最悪で、朝練の時だと二限終わりに飯が食えず仕方なく昼時間に喰ってた。 もちろん御用聞き当番の時は掻き込むことになる。 全ては腹筋強化方法と言われたが、いやいや声出しは応援団でパンチは空手部の練習方法でしょ! (他のパートはどんな特訓やって鍛えてたのかな?) |
| お 題 | 話(ロングトーン) |
|---|---|
| ロングトーンと云えば | ロングトーンと云えばTbのO潟さんである。いわゆる“抜けた音色”で校庭の端から端に鳴り響き 直ぐわかる。とにかくあの方の音はすごかった。 |
| 爆音 | 野外ドリルの練習でO潟さんの前のポジションになった時は周りの音どころか自分の音さえ聞こえない。正しく“爆音“である。 |
| 野外演奏 | 石上先生から、野外演奏は力を入れて大きな音を出すのではなく、息をたくさん出して吹くんです。 と言われたので逆のポジションになった時に頭めがけて思いっきり吹いた。 |
| “さした“ | 結果、休憩時間に一言、「やかましいんだよお前の音!」 すかさず“さした“ (But心は、よっしゃー!やったぞー!であった) |
| お 題 | 話(通学) |
|---|---|
| 立山線 | 大別すると市内組と電車組で、電車組は高山線と富山港線が多かったような気がする。 私は地鉄利用者。岩峅寺方面は3人だったがSaxのY山さんは一人上滝線だったので結局立山線はHornのT堂さんと私の二人だけ。 (なかなか気まずい) |
| 終電 | 終電を気にしなくて良い市内組と、遅くなると三年生の先輩が“帰るぞ“と言ってくださっていた高山線・富山港線が羨ましかった。 (立山線は言わずもがなである) |
| ** | **** |
| ** | **** |
| お 題 | 話(終電ヤバッ) |
|---|---|
| 第9回定演 | 第9回定演が近くなった斉明館でのある日の夕礼後のことである。 その日は練習に熱が入り終了が何時もより少し遅くなっていた。 |
| 終電 | やばい終電に間に合わない。周りを見渡すもT堂さんの姿は見当たらない。 どうしようと考えている所にY山さんが近づいて来られてボソッと、「玄関で待ってろ」 んっ、どうゆうこと? |
| バイク | トボトボと後ろを付いていくと、トヨタの販売店(だったような)辺りの脇道に入った所にバイクが停めてあった。 ナナハンとまではいかないが大型だった気がする。 |
| 内緒の話 | もちろん校則ではバイク通学禁止だったけど結構乗ってた人いたんじゃないかね。 (時効だけど大声では言えないので内緒の話にしておきましょう) Y山さん本当に有難う御座いました。 |
| お 題 | 話(富工展) |
|---|---|
| クラリネットこわしちゃった | 三年に一度の開催で我々は一年生の時だったためほとんど裏方役で文化祭の雰囲気も味わえず。 唯一印象に残っているのは、体育館の演奏会で“クラリネットこわしちゃった”に萩原が出演して、 どーしよ♪ブー、どーしよ♪ピーッ、と見事にリードとばし演奏した時のことである。 (いやぁ~天才でしょ!) |
| お 題 | 話(夏合宿) |
|---|---|
| 就寝・起床ラッパ | 思い出すのは就寝・起床ラッパと飯つくりだ。 夏の合宿で就寝・起床ラッパを吹くのが一年生Tpのデビュー(お披露目)だった。 |
| 一発勝負 | 夜は未だ皆が起きてるからミスればすぐバレルし、朝はロングトーンできないのでちゃんと音が出
るか、寝坊しないか心配事が尽きなかったが、音が一番響く階段に立って何とかこなすことができ
た(と思っている)。 (いやぁ~肝試しより心臓に悪いでしょ) |
| 親子丼 | 食事の支度は学年混合の班に分け当番制で、三年生の時夕飯で親子丼をつくった。(一二年の時 の記憶はない) |
| お 題 | 話(クッキングタイム) |
|---|---|
| 味がバラバラだ | 予めお袋から作り方を教わっていたが、何せ料理は初めてで野菜を切るにも鶏肉を捌くにもおぼ
つかない手つきで危なっかしい。 一通り材料がそろい寸胴で調理しながら味見をするも何か違う、甘みが薄く味がバラバラだ。 |
| 皆さんに好評 | 時間もないので家電して、砂糖入れた方が良いかと聞いたら、とき卵
を入れれば甘みが出て味も整うよ、と教えてもらい直ちに実行。 滑り込みセーフのタイミングのわりに皆さんに好評でお代わりも多くあっという間に完売となった。 |
| 美肌効果 | お米研ぎをしたメンバーはすべからく手が白くなったと言っていた。 米ぬかの美肌効果? それともただ手を洗ったから?? (どちらにしてもあまり深く追求しない方が良さそうな話だ) |
| お 題 | 話(宿直の先生) |
|---|---|
| ビールの匂い | 何年生の時だったか忘れたが宿直の顧問の先生に夕食をお持ちした折部屋にビールの匂いが漂っていたことがあった。 先生も大変だったのだろうし、なによりこれももう時効だよね。 (因みに私は未成年でしたのでご相伴には預かっていませんので念のためため!) |
| | |
| to be continued | まだまだ在りますので暫しお待ちを |
| |
| お 題 | 話(真紅に染められた白地ズボンの真相) |
|---|---|
| "フッキン" | 金管の某2パートでは腹筋強化と称して地獄の特訓"フッキン"が行われていたとか。 |
| 最初の頃は背中や腰の皮が剥け血が滴り落ち、白ズボンの後ろが真っ赤になったと被害者達は語っている。 | |
| 腹筋が強化出きたかどうか定かで無いが、背中や腰の皮が厚くなったのは確かなのだそうだ。 | |
| 因みに、この特訓に耐えられず何人かの同志が早々に離脱に追い込まれたと、都市伝説で囁かれている。 | |
| 我慢と根性の時代のハナシである。 |
| お 題 | 話(遂に弁当事件発表) |
|---|---|
| 鉄板 | 私の記憶では、入学時どこかのクラブに入部しなくてはならず、ゆっくり決めるは、と思っていましたが、放課後掃除当番の井澤くんを待っていたところ、 ブラスの人に音楽室に拉致され入部するまで帰してもらえず、仕方なく入部する事になりました。 |
| 文化部とゆうことでまっいいか、と軽い気持ちで入ったのですがとんでもないことが待っていました! | |
| 朝練、放課後と部活土日も無し地獄の始まりでした(!!) | |
| 5月頃嫌になりサボったことがありました。連帯責任とゆうことで、皆に迷惑を掛けました!すいませんでした。 それからは真面目になり練習に参加しました。 今となっては続けて良かったと思います! | |
| 弁当事件の真相 | 弁当事件について、1限目が終わった時にI澤くんに半分食べられ、2限目にH本くんに半分食べられ、昼に食べようと思ったら空でした!ザンネン!! |
| 後は、地獄の腹筋で背中がづるむけで血がにじんでいました! | |
| 夏の合宿で3年の時階段したの部室で自分の家から持ってきたマ−ジャン牌????️で誰だったか忘れたけど、やっていました。 なぜかM川先生に見つかり、高かった牌を没収されました(!!) 悪い事してましたネ゙! | |
| 今となっては良い想いデス(よし) 以上草嶋の想いでデス(うける) |
| お 題 | 話(立山そば編) |
|---|---|
| 立山そば | 冬のブラス練習での帰り道、富山駅ホームの立山そば屋台100円/杯?とっても美味かったです。 |
| ペラペラのかまぼこ | ただお金????がなかったので天ぷらまではトッピングできなかったけど、薬味のネギと薄く切ったペラペラのかまぼこ2切れが入ったそんなそば1杯が 富山港線グループ皆んなのお腹を満たしてくれてたのがなっかしいです。 |
| 毎日でも食べたかったな〜 |
| お 題 | 話(階段下の部室編) |
|---|---|
| 階段下の部室 | 1年生の時、当番制で2〜3人ずつが昼休み時間に部室で交代に待機してましたが。 |
| パシリ | 3年生の使いパシリだったけど、コロッケを買いに出た時なんかは買ってきたコロッケから1個だけ駄賃として貰った時の嬉しさは皆んな共通の喜びだったんじゃないかな〜!
(嬉しい)(嬉しい) |
| お 題 | 話(マラソン大会編) |
|---|---|
| スタート30分前 | お恥ずかしい話しですが、大会当日は大変緊張するためスタート30分前には、必ず学校のトイレで❎❌❎をしてからグランドに出ていました。 |
| ん〜名案 | 少しでも体を軽くする事で有利に走る事ができるのではという安易な思いがあったからかな・・・ |
| ブー 不適切な表現が有りましたので修正してあります。心のままに! | |
| お 題 | 話(アンサンブルコンテスト) |
|---|---|
| Saxパートの思い出は、何といっても3年の時のアンサンブルコンテストではないでしょうか! 本番(公会堂)のステージで、W林君が、出だしを間違えて。 頭の中が、真っ白になり、その後どうなったかは、覚えてません! | |
| お 題 | 話(17時30分) |
|---|---|
| カルト集会 | 息を切らして4階の階段を駆け上がっている定刻まで後2分 まに合いそうだ 音楽室の扉をあけチワ!と挨拶し所定の奥片隅に正座した。 定刻の5時30分になり終礼と称した地獄のカルト集会が始まる。 |
| 黙祷 復唱 | 部長と副部長が前へ出て部長が号令をかけ全員では復唱
黙祷 復唱 一 人間性の向上 一 演奏会を成功させる事 一 打倒富商 |
| 魔の点呼 | 副部長が出席をとります。順番に名前を呼ばれ返事をする。 返事がなかったり声が小さいと上級生より舌打ちされ処罰対象となる。 出欠が終わると部長副部長一言、連絡(伝達)事項があり何もなければ全員で起立して『アシタ!』と四隅東西南北に挨拶して終礼は終わるのだが まず終わらない |
| グランド10周 | 特に新学期は2年生が1年生の指導と言う名の可愛い狩りに 2年生が終礼時 連絡事項の時に挙手して『1年生は残って下さい』と伝えて 4階の廊下に一年生は黙祷し立たされ 挨拶から仕草、態度、返事の仕方などなど徹底的に教え込まれ素行が悪いと罰としてグランド10周が課せられる。 |
| お 題 | 話(ドラムパート) |
|---|---|
| ドラムパートでは他パートのロングトーンの時間が呉羽山まで走る時間でした。 | |
| なんで運動クラブで無いのに走るのか?自問自答してしてました。 | |
| 帰り学校近くの神社からダッシュさせられ辛かったです。 おかげでS伯君には叶いませんがマラソン大会では60番台だったと思います。 |
| お 題 | 話(手をあげる) |
|---|---|
| ** | 日頃の合奏練習時、間違えると手を挙げる事になっていたがコンクール本番の時もついくせで手を挙げてしまった。 |
| お 題 | 話(坪島先生) |
|---|---|
| 春の吹奏楽祭 | リハーサルで参加校全校での演奏を富山商業顧問の坪島先生が指揮されたが富山商業の吹奏楽員が一緒にいるにもか かわらず全く演奏しないので反発してめいいっぱい大きく演奏し坪島先生の制止を振り切って困らせ後で薩摩先生から怒られた。 |
| to be continued | |
| お 題 | 話(いざ入部したら) |
|---|---|
| 吹奏楽部に入部した理由は、演奏を聞いて感激したからですが、いざ入部したら ①朝練のため、6時に起床 ②先輩を見たら何処でも大きな声で挨拶 ③連帯責任で一人の不祥事が全体で叱られる ④部を辞める時は全員の前で責められる ⑤定期演奏会等の追い込み時期になると、帰り遅くなり、高山線の都合で家に着く時間が10時半を回っていた(寝不足で授業は居眠りばかり) 3年生の時は片道20キロを自転車通学した ⑥ホルンパートは最初同級生が二人だったが一人が辞めたため、一人きりになった。昼の用事聞きは毎日と他のパートより大変であった。 | |
| このように年間の休みもほとんど無く、3年間部活があったが、3年生になっても辞めたかった。 ただ辞める勇気が無かった。 | |
| おかげで、この後の人生に役立ってきたと思う | |
| 特に会社に入った後の1年間の研修。自衛隊も見学にきたと言われる環境で耐えました。 この後、何年続くかわかりませんが、元気な限り参加して行こうと思っています。 |
| お 題 | 話(みんな大好き立山そば) |
|---|---|
| 高山線で通学していて、いつもは西富山駅から乗るのですが、たまに富山駅で乗りました。 ホームの立山そばを小遣いが少い中、またに素そばを食べるのがうれしかったのを覚えています。 天ぷらや月見そばは夢の夢でした。 | |
| お 題 | 話(コロッケ) |
|---|---|
| コロッケ | ホルンパートの1年生は私一人だったので毎日御用聞きに行ってコロッケ買ったようにように覚えています |
| お 題 | 話(マラソン大会) |
|---|---|
| マラソンコース | マラソンコース付近に今、住んでいますので、ここをマラソン大会や部活で走ったことを懐かしく思いだします。 |
| 成績発表 | マラソン大会の後、部活で成績発表があったと思います。 佐伯さんは1年生の時、トップでなかったですかね?。 |
| お 題 | 話(10㎞+10㎞?) |
|---|---|
| 10㎞マラソン | 富工では毎年10㎞マラソンが開催されていた。 |
| 大会の調整 | 私達が2年の時の事だが1ヶ月前から S 氏と私は平日は無理。 だが休日の部活前10㎞コースを走り大会の調整をしていた。 |
| M氏の1言❗ | 10㎞を走り終え、さて部活‥‥だが?部長M氏の1言❗。 |
| おかわり上等 | 全員でのマラソン・コース‥‥と。こうして?S 氏と私にはマラソン・コースおかわりが現実となった。 |
| お 題 | 話(忘れたい曲‥‥) |
|---|---|
| 名曲 | 思い出したくない曲が2曲有る。 |
| 迷曲 | さ迷ったヨタヨタ人と異封堂々巡り |
| 力が無い | ‥‥情けないが、力不足だった事は?否めない。 |
| お 題 | 話(部室で2泊…) |
|---|---|
| 部室で2泊 | 部活で終電乗れず部室で2泊?した記憶が有る。 |
| 卒業製図 | 1泊は T 氏も共に‥‥風邪で学欠の時に卒業製図の班決めが有り1人で?30枚書く羽目に‥‥ |
| 製図室 | A3は製図室でないと‥‥だがA4なら‥‥と夜中に書いていた。 |
| トースターで暖 | 秋の頃の部室は寒く、ドラムの毛布と美術部の?オーブン・トースターで暖を‥‥と云う極めて非常識な青春‥‥凄惨の凄?凄瞬かもしれない。 |
| お 題 | 話(????忘れた!) |
|---|---|
| 作業服に定期 | 終電に間に合うよう市電に乗ったが作業服に定期・????を忘れた事に気づいた。 |
| 生徒手帳 | 市電の料金は誰かに借りたが本線は?やむなく生徒手帳で人の居ない出口から間に合わん!と突破。 |
| 無人駅 | 水橋は時間無人駅の時代だった。 |
| 非常識! | 貧乏と非常識?の混在生活だった。 |
| お 題 | 話(灯油に苦労…) |
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| 灯油確保 | 2年の冬はパート練習時に灯油確保に苦労した。 |
| 教室を漁る | 他のパートの使用以外の教室を漁り残り少ない灯油をユニコンの***㏄ボトルで回収し?寒さを凌いだ記憶が有る。 |
| 木造校舎 | 木造校舎の空調無しで灯油ストーブ残量次第‥‥は悲惨だった。だが***㏄ではたかが知れる。 |
| ガソリン値上がり | この次の年toilet紙が店頭から消えた oil shock が勃発¥50ガソリンが⤴¥80に?値上がりしたと記憶している。 |
| お 題 | 話(塩辛い) |
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| 真実はいつもひとつ | 49年合宿塩味噌汁事件?。 |
| こいつが犯人だ | 当日、私も当番の一員だった。 |
| 今は高級品 | 献立に鯨肉と味噌汁があり、生姜醤油漬け、当時牛豚より鯨肉の方が安かった時代肉を焼いて味見を大変美味しくつい2枚3枚、、、。 |
| 味見 | そこへ2年のI畑君が味噌汁の味見してくれというので一口含むとすかさず『しょうむなないか!』I畑君は只?首を傾げるだけ。 味噌を追加して再度味見『まだまだ 塩入れろ❗️』 |
| ** | I畑君は不信顔だったが何も言わず、、、 今から思えばその時のI畑君の仕草がこっけいで、、、 肉の生姜醤油味で舌がマヒしていたトホホ、、、 |
| 味覚音痴 | 後は皆さんが御存知の結果?となってしまいました。 |
| 熱中症には効果的 | 夏の苦い塩辛い思い出でした。夏場の塩分補給には貢献したかな(?) |
| お 題 | 話(音楽室拉致事件) |
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| 皆んな被害者 | 音楽室拉致事件 他の人も書いていますが、私もブラスに入るきっかけは、音楽室”拉致”です。 |
| 鉄板です | 高校に入って間もない頃に掃除当番として残っていたところ、音楽室に連れて行かれて「入部する」と言わなければ帰してもらえないそんな状態でした。 |
| あの日残っていなければ | あの日残っていなければ、多分ブラスにも、クラリネットにも出会ってなかったと思います。 |
| 楽しくなった | ブラスについては、毎日が辛くて夏休みまではやめたくてしょうがなかったが、それを越えてからは、苦痛ではなくむしろ楽しくなった記憶があります。 |
| 私の財産 | クラリネットとは、その後オーケストラで吹く喜びにもつながり、どちらも私の財産になりました。 |
| ブラス時代 | 人生とはわからないものですね。でも、1年生の"はえぼぼ“時代は、今思い出しても、それは大変で、みんないろいろな思いはあると思います。 そんな1年生を終えながらも(あるいは途中で)、それ以降にやめた人もいましたが、彼らにとっても”ブラス”時代はどうだったのだろうか。 |
| お 題 | 話(難曲) |
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| クラリネットは、ファースト、セカンド、サードのパートに分かれ、オーケストラの弦楽器的な役割です。 | |
| ファーストは、ある意味コンサートマスターで花形パートですが、セカンドとサードは、和音や伴奏を担当し、 やや地味な立場にあります(もちろん大切な役割です)。 | |
| 私の場合、そのセカンドとサードを3年間経験しました。 | |
| その中で思い出すのは、2年生の定演でのベートーベンの「コリオラン序曲」です。 | |
| 主旋律の裏で16分音符で刻む部分があり、オケではチェロが弾くのですが、転調も度々あり、クラリネットの運指では無理という部分がありました。 | |
| 当時のパートリーダーと何度も練習してもダメだあ!ということがありました(後ろで先輩のバスクラがすごい勢いで16分音符を吹いていたのを覚えています)。 | |
| それだけではないと思いますが、指揮者の石神先生からはレコード化を止められたと聞いています。 | |
| 49会のアーカイブには、そのコリオランも録音があります。怖いけどそのうち聴いてみようと思います。 | |
| なお、3年間の演奏曲では、吹いていませんが、ホルストの「火星」が耳に残っています。 |
| お 題 | 話(ハムカツコロッケ) |
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| クラパートも、日曜日の昼に、1年生が先輩に御用聞きに行く伝統がありました。 | |
| お使いの駄賃としてコロッケ(ハムカツコロッケだったと思う)を1個もらい、母親の作った海苔と昆布のおにぎりと一緒に食べるのが美味しかった。 | |
| 今も、昼にコンビニでコロッケとおにぎりを買って食べるのが”ごちそう”です。 | |
| あと、忘れられない味は、富山大学前の電停前にあった洋食屋で食べた“焼肉定食“(?)。 あの味を味わいたくて数年後に行ったけど、お店はもうありませんでした。 |
| お 題 | 話(正座) |
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| 正座 | 一年生の時、渡り廊下(通路)に正座させられて怒鳴られたことかな(一度は経験するイベントみたいな・・・) 眼を閉じて足のしびれを我慢し、誰か先輩の甲高い声にビクッとし喝を入れられた!こわ、なんて |
| お 題 | 話(演奏曲に感激) |
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| 火星/ホルスト | ①組曲『惑星』より火星/ホルスト 一年生の時の定演で演奏された曲で大変印象に残った曲です。 勇ましく攻撃的な雰囲気が漂よう曲、こんな素晴らしい曲が演奏出来るなんてワクワクしませんか! |
| コーラン変奏曲 | ②コーラン変奏曲/チャンス 3年生の時の定演で演奏した曲。 とてもテンポの早い難易度の高い曲ですが、美しいアリランのメロディーが素敵です。 超絶技巧とは言わないまでも、よくぞ合奏であそこまで揃って演奏できたなーって感じ! |
| お 題 | 話(第一話) |
|---|---|
| 部活時代の思い出と言うと3年間皆んなが、一生懸命目標に向かって練習したわりには、これといった成果に結びつかなかった。
てっぺんの賞が取れなかった。 つまり全体的にヘタクソだった。のでしょうか? まあ自分も含めて皆んな個性的な人が多かったし、それをまとめた加藤君、辻沢君は大変ご苦労されとは思っております。 | |
| 私は中学生の時は剣道をやっていましたが、どういうわけが、高校入学直後、何処かの教室に言葉巧みに連れていかれて、気がつけば、竹刀からクラリネットに持ち替える
ことになってしまい? あっという間の三年間でした。 | |
| ヘタクソと実感したのは確か2年生の時、当時『オーケストラがやって来た』TBS系列で指揮者が山本直純さんの番組が、 富山市公会堂に公開収録に来た際に、富山商業高校吹奏楽部がゲスト出演していてその際に、演奏した曲がクラリネット・ポルカでした。 | |
| 前列に陣取っているクラリネットパートの◯◯君がスタンドプレーをした際の指使いと音量と音色を聴いた時に、鳥肌がたちました。 私自身、打倒富商は10年早いと実感しました。 どうしたらあんなに上手くなれるのか? やはり練習量が,足りないのか? センスが無いのか? 悩みましたがやはり彼等は異星人なので無理だと実感し諦めました。(笑) | |
| 3年になると合奏の際は、確か私の音で音合わせをする機会が増えましたが不思議なもので、ほとんどの楽器は、温度や湿度などの状況により異なるため顧問の先生によっ ては今日はなんで音が出ていないのと言われたことを思い出します。 これが本番の大会だったらどうしようと悩んだこともありました。 | |
| 部活終わり終礼時の復唱 1.人間性の向上 1.演奏会を成功させること 1.打倒、富商 後輩諸君‼️ 伝統として受け継がれてきた目標は50年経った今も生きていますかぁ〜! 『夢をかたちに』 |
| お 題 | 話(A田先輩) |
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| 2年生の時になると我等クラリネットパートにはM野氏が部長、A田氏がドラムメジャーと凄い方がいらっしゃいましたが、
入部当初から同じ機械科の先輩でありながら何故か私とA田氏は相性が悪かったのです。 更にA田氏との関係が悪化した事件が起きたのは?富工OBで顧問であるO畔氏がある日クラリネットパートの合同練習中に突然現れてA田氏を筆頭にM野氏O崎氏O原氏M永氏、 私稲垣君一柳君寺井君の順番で、確かCの音♪だったと思いましたがロングトーンを吹くように要求されました。 | |
| その際、O畔氏の評価で一番音が出ているねと言われたのが私でした。 嬉しいお褒めの言葉なのに周りの諸先輩方は首を傾げている方や納得行かないような感じでしたが、 その中でも特にA田氏は般若のような形相で私を睨みつけていたことを今でも鮮明に憶えています。 | |
| O畔氏が去った後、A田氏からちょっとお前の楽器持ってこいと呼ばれ差し出したところ私の楽器を吹いてみたらなんだこのリードの硬さは? なんでこれで音が出るんだと一人で騒いでいらっしゃいましたが、貴方が一番クラリネットパートの中で最高の楽器を使っていたのですからね! と言いたいところでしたが、因みにM野氏はクスクス笑ってたような気がします。 その後もA田氏との確執は続きました???? |
| お 題 | 話(下宿) |
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| 思えば中学校2年の時に親父の転勤のため九州の博多から北陸の富山に転校してまいりました。 | |
| ご存知の方もいらっしゃると思いますが、今度は 高校2年の時に親父が信州松本にこれが最後の転勤となるからお前も転入?編入?だと騒ぎだし、その時、咄嗟に親父に頼むから卒業するまでは、富山にいさせてくれよと頼みこんだ際、「お前はチンドン屋になるため残りたいのか?」 当然その答えはYESと真顔で言いましたが、これマジで本当の話しです???? | |
| なんとか親父攻略に成功 そして初めての下宿生活 | |
| 下宿のおばさんは、「あんた毎日朝早く出掛けてって遅くに帰って来るけど何しとんがけ?」 部活の話しは一切せず友達のところとか勉強が大変とか適当な嘘をつきながらあっという間に月日が経ち⏳ | |
| たかが三年されど三年 吹奏楽に没頭することの楽しさ、そして辛さ、諦めずに努力することの大切さを自分なりに学びました。 | |
| 最後に部活をやっていて一番感動する場面が訪れます。 なんと下宿のおばさんと息子夫婦(因みに旦那は北部で嫁さんは富工設計計測科卒) そして下宿の隣りのご夫婦(お二人とも富商卒)が第11回定期演奏会に来られていたのでした。 | |
| 後から知ったのですが下宿のお嫁さんには以前自分がプラスやってると話していたようで、 お嫁さんからのサプライズだったそうです☺️ | |
| 定期演奏会が終わった次の日の朝 おばさんが涙ながらに「あんたには、ご両親から預かったからいつも厳しいことを言ってしまってたけど、 昨日の頑張っている姿を見て、おばさん本当に誇らしかったよ」と泣いておられたことは今も忘れません???? |
| 年 号 | 西 暦 | 学生〜49会のことがら |
|---|---|---|
| 昭和47年4月1日 | 1972 | 富山県立富山工業高等学校入学 |
| 昭和47年4月 | 1972 | 吹奏楽部入部 |
| 昭和47年11月18日 | 1972 | 第9回定期演奏会 |
| ** | *** | *** |
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| 昭和48年8月2日 | 1973 | 福井県75万人の為の吹奏楽祭招待 |
| 昭和48年8月 | 1973 | 富山県吹奏楽祭出演 |
| 昭和48年11月17日 | 1973 | 第10回定期演奏会 |
| 昭和49年7月 | 1974 | 富山県教育文化会館杮落し公演 |
| 昭和49年11月16日 | 1974 | 第11回定期演奏会 |
| 昭和50年3月 | 1975 | 富山県立富山工業高等学校卒業 |
| 昭和50年3月 | 1975 | 加藤邸にて第1回新年会開催 |
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| ** | *** | *** |
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| 昭和64年1月7日 | 1989 | 昭和天皇が崩御 |
| 平成1年1月8日 | 1989 | 平成に改元 |
| 平成7年1月17日 | 1995 | 阪神・淡路大震災5時46分に発生(震度7) |
| 平成23年3月11日 | 2011 | 東日本大震災午後2時46分に発生(震度7) |
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| 平成28年7月24日 | 2016 | プロジェクト49挑戦者たち |
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| 平成31年4月30日 | 2019 | 平成天皇が生前退位し、皇太子徳仁親王に皇位を譲位 |
| 令和1年5月1日 | 2019 | 令和に改元 |
| 令和2年1月頃 | 2020 | 新型コロナウイルス感染症が急速に世界各国で感染拡大。よって49会の活動縮小! |
| 令和5年5月21日 | 2023 | 吉峰にてバーベキュー開催 コロナウィルス感染症が5類に移行 49会の活動再開! |
| 令和6年1月1日 | 2024 | 能登半島地震は元旦午後4時10分に発生(震度7)、富山県内で観測史上最大の(震度5強) |
| 令和6年1月2日 | 2024 | 富山駅前パティオ2階“れんま“にて新年会 |
| 令和7年3月24日 | 2025 | 新プロジェクト49始動 (新たなる挑戦) |
| 令和7年6月7日 | 2025 | 49会BBQ・パークゴルフ・50年史プレゼン・温泉 |
| 令和8年1月3日 | 2026 | 令和8年度新年会(八丁屋) |
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